【雑学】ピアノ奏法における『ボディ・マップ』の研究

ピアノ奏法における『ボディ・マップ』の研究

音楽は、作曲者(演奏される音楽・楽譜)・楽器・演奏者の3つの要素によって成立し、さらに聴衆が同じ時間と空間を共有することによって演奏となる。

本稿では、ピアノ奏法をもっぱらピアニスト側、つまり演奏者自身の「意識」「注意力の向かうところ」において整理し、著者の一人の大熊に起こった親指の故障の原因と回復過程を示す。演奏者にも教師にも、結果的に起こること(できること)・科学的分析と、実際にピアノを弾く際に必要な理解や意識との明確な区別が必要であろう。

なぜならば前者は、部分的でしかも結果論であるために、「わかってはいるけれども、できない」という状況を引き起こすからだ。そしてその延長にピアニストの身体・腕・指の「痛み」や「故障」があると思われる。

これらの解決に、本稿では、音楽家のための実際的解剖学として近年アメリカで研究され、日本でも注目を集め始めている「ボディ・マップ」を取り上げた。そして、ピアニストに必要な訓練とピアノ指導法の新たな可能性を考察する。

Ⅰ ピアノ演奏に必要なもの

1-1 ピアノ奏法とは何か

ピアノ奏法を歴史的に見ると、チェンバロやハープシコードの軽い鍵盤が現代のピアノになって重くなる過程で、教則本とともに多くのテクニックを磨く方法が工夫されている。1)ロマン派の時代には、ピアノの改良とともに高度なテクニックを要する華やかな曲が数多く作曲された2)が、その一方でデカルト3)の心身二元論以来、音楽や感受性が科学を離れて「心」の領域に追いやられ、ピアノ演奏のテクニックが一種の運動技術の訓練として発達した。4)作曲家シューマンの指の故障に代表されるように、特殊な訓練用器具まで発明されている。5)しかし一方、この時代にも、マリー・ジャエル6)のように、外の世界と自分の身体と知覚とを同時に発見しながら、ピアノ・タッチの研究を脳の中で捉える知覚のプロセスとして研究する者もいた。7)

イギリスのトバイアス・マティ8)やドイツのオットー・オルトマン9)は物理学・生理学・解剖学を用いて客観的にピアノ奏法を著した。その分析は科学的で画期的ではあるが、演奏者の意識・脳の中で実際に起こっていることとは異なる点があるため、ピアニストが直接的に参考にすることは難しいし、時に混乱を起こすだろう。

現代では古今東西を問わず、指の敏捷性や間違わずに正確に弾くといった身体の技術・テクニックに比重を置く場合と、心から発しなければと感情やイメージを重要視する二元論的要素で議論するか、あるいはそれらを前提に両方の重要性を説くことが一般的であろう。例えば、ネイガウス10)の弟子、リーベルマンは、「音楽の理解からテクニックの課題へ、また、テクニックの修練の過程で、より高次元の音楽理解へと進む」11)と述べている。しかし、そもそもテクニックは、ネイガウスも指摘するように、ギリシア語の「テクネー」が語源で「芸術」を意味する。「どのような形で技術を改善しようと、それは芸術そのものをみがきあげていくことにほかならない。」12)

山岸麗子は自らの「頭で弾く奏法」をツィーグラー「心で聴く」ピアノ奏法と同じであると述べ、「心と、頭と、指との3者が、統一体としてはたらく」13)ことの重要性を説いた。ジャン・ファシナ14)は、腕の重さと腕の力を区別し、「腕の重さは常に一定だが、腕の力はエネルギーをどのくらいかけるかによって変化する。エネルギーを制御するのは脳である。使うべきエネルギーの量を脳に伝えているのは、我々の感覚[視覚・聴覚・触覚]である」15)と述べ、ピアノ奏者の訓練に一番必要なことは、「ピアノの演奏にかかわる視覚、聴覚、触覚、そして筋肉の感覚の連関を探求し、見つけ出し、記憶にとどめることだ」16)と唱えた。これらはピアニストの内面で起こっていること、感覚や脳の働きなどに注目した、教授法の新しい視点を明確にしていると言えよう。

1-2 統合された全体としてのピアニスト

ピアノ奏法の研究ではないが、演奏者を一つの統合された全体として捉えた有効なアプローチに次のメソッドがある。

フレデリック.M.アレクサンダー17)は「どんな種類のトレーニングであれ、人間有機体は常に全体として機能するという理解にもとづいて、全体であってはじめて根本的に変えることができる」18)と説いた。また、首の筋肉の習慣的緊張が必然的に体全体の緊張を引き起こすことを発見し19)、「アレクサンダー・テクニーク」20)を創始した。欧米の音楽大学では授業にそのレッスンが組み込まれている。モーシェ・フェルデンクライス21)は、緩やかでシンプルな身体の動きを使って、習慣的な身体の働きがいかにパターン化し硬直化しているかを気づかせ、柔軟性と調和性を取り戻す「フェルデンクライス・メソッド」を考案した。22)モリス・マルトノ23)は「自分自身をコントロールすることは自分自身を知ることである」、「ものごとの大小にかかわらず、私たちが考えたり行ったりすることはすべて、自分がいかに調和し、全体的にバランスがとれているか、自分がどう『在る』か、ということによって決まってくる」と述べ、音楽家の心と身体の緊張を解くためのリラクゼーション・メソッドとしての「運動学」24)を提唱している。

上記の3人のメソッドには、多くの世界的音楽家、ピアニストたちも恩恵を受けている。彼らのメソッドに共通していることは、心身二元論の根強いヨーロッパにあって、人間を心身有機体のひとつの全体として捉え、身体を鍛えることではなく、「気づき」の中で感覚を高め、結果的に音楽家の演奏技術を向上させることにある。

しかし、フェルデンクライス・メソッドはどちらかというとテラピー的な要素が強い。一方、アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、生徒はただ気持ちよくリラックスできるが、自分の身体の中で何が起こっているのか認識できず、よくなろうとする意思との間に葛藤を生じた時、教師が解決する手段を持たないことがあったり、エネルギッシュな演奏とどう結びつくのか理解されにくい点など、すでにアレクサンダー・テクニークが普及している欧米では、その有効性とともに難点もある。

日本においては、野口三千三25)の「野口体操(こんにゃく体操)」は身体全体を原初生命体としてひとつに捉えて戦後考案された音楽家のための体操26)であるし、近年見直されている日本の古武道をヒントにした「ナンバ的動き」の「骨体操」27)も音楽家に身体の使い方の合理性や効率性を「気持ちよさ」を基本にして伝え、成果を挙げている。一方、西野皓三28)の創始した「西野流呼吸法」29)は身体と「気」を調整し、活性化する。

しかし、野口体操は言葉とイメージによる動きであり、いつまでたってもつかめないという感想を持つ人もいるだろう。また、「骨体操」は部分的に骨や筋肉に作用するが、人間の身体の中心である頭と脊椎の関係・脊椎のことを今のところ言及していない。

どのメソッドも、日本ではまだ一般的に音楽家の間に普及するには至っておらず、今後、注目が集まる重要な分野であると思われる。特徴を知った上で賢明に選択すれば、とても効果的であろう。

アレクサンダー・テクニークの概念を発展させて、特に音楽家のために組織化し、脳神経学者との共同研究により、音楽家の「動き」と「意識」と「ボディ・マップ」について研究しているのは、バーバラ・コナブル30)を中心とするアメリカのアンドーヴァー・エジュケーター31)たちである。筆者の一人の川井は、そのメンバーに加わっている。音楽家や音楽教師に直接役立つ有効な手段として注目が集まると同時に、更なる研究が進行中である。「ボディ・マップ」は上記のアレクサンダー・テクニークや「骨体操」などと必要により組み合わせも可能である。

Ⅱ 故障の起こった過程と原因

2-1 故障の起こった過程

大熊は小学3年生の時、「『手が小さい』から、手を開く練習をするように」という指摘を教師から受け、ハノンピアノ教則本の6度・7度・8度の手を広げる練習を毎日行ったことを記憶している。また受験期にも表現の幅の狭いことの理由に「音量が小さい」ことを指摘され、自身も「強く弾かなくては」「指を鍛えなくては」と日々練習時に考えていた。もちろん一方で、楽曲研究や音色をはじめ、いわゆる音楽の内容についての指摘からも多くを学んだ。しかし、どちらも豊かで生き生きとした表現にうまくつながらなかったと実感している。

大学院修了後、ソロよりも、ヴァイオリンとのデュオ、オペラの稽古ピアノなどの割合が増え、初見や曲に慣れないうちに速いテンポや音量を求められることがしばしばあった。1992年、「夕鶴」の稽古ピアノで、指揮者やキャストとの長時間の練習から、肩や腰に負担がかかり、その痛みが半年近く残ったことがある。その後、1995年バルトークのヴァイオリン・ソナタ2番、1996年シューベルトのヴァイオリンとピアノのためのロンドロ短調Op.70,D.895、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ3番ニ短調op.108 など、オクターブや手を広げることの多い曲が続いた。この時期には、親指と人差し指の間の筋肉が硬くなり親指の第2関節に痛みを感じることはあったが、痛みのある親指を押さえつけないように練習することで、1ヶ月程度で回復している。一方、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調op.30-1やラベルのヴァイオリン・ソナタでは豊かな音色や力強いリズム感を追求したため、腕や手に負担がかかり、左前腕部にだるさが残り、左手親指が動きにくくなることがあった。しかしこの時も、さまざまな工夫――例えば、弾いたことのあるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調op.37で、調子よく「押さないで呼吸とともに弾いていた」以前の状態を思い起こし、半年後に回復。しかし、2000年になって、親指と人差し指の間が硬く、手が広がりにくいと感じられることが再び起こる。また、それを克服するための練習が長時間に及ぶことで、さらに前腕部がこわばることを経験する。しかしこの時も1ヶ月で回復。2002年、痛みは伴わないが、アルベルティバスや音階など基本的な単純な動きが以前のように弾けないなど、左手親指の動きの鈍さが目立ち始めた。試行錯誤の練習のうち、ついに左手親指はどのように練習しても自分の意思通りには動かなくなった。気がついてみると、その状態が1年以上続いていた。大熊の症状はいわゆる腱鞘炎で、ばね指とケルバン腱鞘炎32)を併発している。

2-2 故障の原因の解釈

整形外科医の酒井直隆の調査では33)、100例以上のピアニストにおいて、8割近くがオクターブをはじめとする手を広げる練習が障害の原因である報告されている。そこで、手の大きさに原因があると考えた氏は、手を痛めたことのあるピアニスト50名と痛めたことのないピアニスト50名のハンドスパン34)を比較している。ところがこれらの平均値には全く差がなかった。つまり「手の大きさ」、「手が小さい」ことは直接的に手の故障の原因ではないことになる。

トーマス・マークは、故障は「緊張」を伴った練習・演奏から起こる35)と指摘する。ここでいう「緊張」は「過度の筋肉の働き」を意味する。前述の酒井の調査とバーバラ・コナブル、トーマス・マークの考えに基づいて大熊の症例を見ると、故障の原因を次のように分析できよう。

手が小さいほど故障が起こりやすいというものではないが、大熊の場合、「手が小さい」という認識が練習や演奏時に「手を広げよう」と「努力する」36)ことに直接的につながった。そして指だけに集中することになり、首や背中の緊張の始まりに気がつかなかった。筋感覚の情報は脳に送られたが、注意を向けていなかったため、その情報はないも同然だった。つまり、その情報がフィードバックとして機能せず、背中と首は緊張して硬くなった。しかし弾いている本人には不必要な緊張を起こしているという「意識」がないどころか、そのような練習は必要だと考え、長時間行った。結果的に、筋緊張は増加し、演奏は自己が思っているより良くなく、教師はさらに「こう弾くように」指示する。指の動きに更なる集中を続け、演奏が良くなるように努力したが、状態を良くしようという試みは、ただそれらを悪くすることにだけつながる。つまり指をもっと働かせることによって、身体の他の部分で起こっている硬さや適切な動きの欠如を埋め合わせようと努力している。大熊の練習は「埋め合わせ」の練習であるために、本来の目的に達することがなかった。この状態の場合、練習が長時間であればある程、故障へと結びつきやすい。

2-3 経過と考察

2000年、大熊はバッハ作品の音楽理解ために、バロック・ダンスを習い始めた。しかしその目的とは別に、「身体を支える」という感覚に気づいた。それは以前(1990年)、大学院のパイプ・オルガンのレッスンで、オルガンのいすにうまく座れない、身体を支えられないという思いがあったことにも起因するだろう。オルガンはピアノと違い、脚鍵盤を脚で弾く。下半身も左右に動きながら低音部を脚で演奏するため、頭・脊椎・骨盤(坐骨)の支えとバランスの中で腕も脚も動くことになる。

一方、2003年から保育士養成課程の学生を相手にピアノ以外に歌うことも教える必要があり、声が出にくいという悩みを抱えていた。大熊が川井のアンドーヴァー・エジュケーター2日間コース「音楽家なら誰でも知っておきたい『からだ』のこと」37)を受講したのは同じ年の秋だ。このコースは、楽器演奏者の故障にも対応すると明示されていたが、そもそも声のことが目的で受講に至った。なぜなら川井は声楽家だ。親指の故障についてはとても困っていたが、腱鞘炎だとは知らないまま、選曲や負担をかけない練習を工夫することにより、何とかしようと思っていた。一方で、バロック・ダンスでの身体経験から、豊かに演奏するために、呼吸や身体全体の動きが何か助けにならないかと、思っていたのは確かである。

結果的に、川井のコースで扱われていた「ボディ・マップ」が、大熊の声と親指の問題を大きく解決の方向に向かわせた。では、その「ボディマップ」とは何かを見ていこう。

Ⅲ 「ボディ・マップ」と「動き」のトレーニング

3-1 「ボディ・マップ」とは何か

チェリストでアレクサンダー・テクニーク教師、ウィリアム・コナブル38)は、今から約30年前、チェロを演奏中の生徒の動きが、本来の身体の構造や機能ではなく、自身の思い込みに基づいて動いていることを発見し、「ボディ・マップ」の存在に気づいた。つまり「ボディ・マップ」は、脳の中に自分がどのように描かれているか、例えば骨や筋肉の構造がどのようなものか、それがどのように動くかということである。演奏者の「ボディ・マップ」が不正確であれば、地図が現場と違うため、効率よく動けず、痛みを伴ったり、故障に至る。「ボディ・マップ」が正確であれば、動きはうまくいき、演奏は生き生きとしたものになる。39)

一方、脳神経学者のT・リチャード・ニコラス40)に寄れば、演奏のための動きのマップ、つまり「ボディ・マップ」は、大脳皮質の運動野と知覚野の両方にあって互いに連絡を取り合っているという。長年の身体の使い方から個人的に「ボディ・マップ」が出来上がっているが、音楽家のような高度に訓練された芸術家の場合それらを再組織することが期待される。また腱鞘炎や手根管症候群のような故障、つまり筋骨格組織における病的な症状を改善できるという。41)

つまり我々は、「ボディ・マップ」を意識的に修正し洗練させることができ、それによって動きを改善できる。つまり、原因がはっきりせず、安静にするしか再発防止の方法

がないと思われているピアニストの故障は、「ボディ・マップ」の使用によって防げる。たとえ故障が起こっても、正しい「ボディ・マップ」を学び、動きをトレーニングすれば演奏が可能なのだ。

3-2 「ボディ・マップ」の使用方法

「ボディ・マップ」は単なる知識ではなく、自己の身体に対する自らの概念であり、「体現する」解剖学である。これが最も重要なポイントだ。また、いわゆる「よい姿勢」42)とは全く考えを異にするものである。「ボディ・マップ」を学ぶには骸骨モデル、解剖図、ギムニク・ボール(直径約55センチの空気の入ったボール)を使用する。正しい「ボディ・マップ」を知識として示すというのではなく、生徒の気づきと体験を促し、質問による対話によって、さらにそれらを導き定着させる過程は、生徒にとっても楽しい。なぜならば、可能性が広がり、気持ちよいことが身体の感覚として実感できるからだ。

<図1> 腕のマップ44)

例えば、腕のマップを例に挙げよう。腕の構造<図1>は鎖骨、肩甲骨、上腕、前腕、手首、手である。肩の関節から下ではない。指や腕が動く時必要に応じて鎖骨は胸骨の所(胸鎖関節)で旋回するようにデザインされ、肩甲骨も肋骨の上で動く。それに上腕骨の始まりは、肩甲骨の下である。つまり我々が一般的に肩だと思っている場所は、肩甲骨の出っ張り(肩峰)だ。そこでの動きは肩峰の下で起こる。演奏中に肩が不必要に上がるのは、この腕と肋骨の構造の関係がはっきり認識できていないことが多い。なぜなら、ピアノを弾く際の上腕骨の主な動きは上下運動ではなく、この肩峰の下で起こる回転であるからだ。これらは筋感覚で認識されるが、これらをピアノを弾く以前に体現化しておくこと、「ボディ・マッピング」しておくことが、演奏中に腕全体・指がどの

ように動くかに大きく関係する。

3-3 「筋感覚」

アンドーヴァー・エジュケーターは音楽をすることを人間活動の最も複雑なものの一つであると位置付け、一般的な五感(視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚)の他に6つ目の感覚として「筋感覚」Kinesthesia★の必要性を唱える。

「筋感覚」は、どこにある、どのような大きさのものが、どのくらいどのように動くかを感知する感覚である。演奏するのに「動く」ことは自明のことであるが、身体全体としての動きは、不思議なことに今まで音楽家の訓練において明確化・体系化されていない分野であった。「このように弾くべきだ」というテクニックとは別に、「今どのように自分が弾いているか」を耳だけでなく、筋肉や骨での感覚で感知・認識し、「それでは次にどのようにしたらよいか」を識別・応答する感性を、訓練する必要があろう。

3-4 「包括的注意力」

「集中すること」では解決にならない。「指の動き」に「集中した」ことが故障を引き起こした、とも言える。なぜなら、集中すれば、他のことへの「注意」が向かなくなるからだ。ピアノを弾く時、身体を通して動きへ注意を払うこと、統合された全体としての身体に気づいている必要がある。もし認識していない部分があると、そこは硬くなってしまう。

必要なのは、「集中」ではなく焦点をその都度移動することができるような「包括的注意力」である。それは「全体としてひとつ」であり、自分の内側の世界(手や腕だけでなく、背中、脚、脊椎、頭、身体全体)と外の世界(演奏会場、練習室の広さ、楽譜への注意力なども含む)の流動的形態だ。演奏中、気をつけることがたくさんあってコントロールしきれないと思うのは、「集中」が寄り集まったものであり、意識の使い方を間違っている。

それでは、「ボディ・マップ」を使った大熊の回復例を具体的に見ていこう。

Ⅳ 故障の改善

4-1 ショパンの「前奏曲」における実例

大熊は親指の故障回復のための曲として、ショパンの作品を選んだ。それは第一にショパンの作品がベル・カント唱法からヒントをえた呼吸や声のニュアンスに富んでいる点45)、第二に長さの違う指の機能を自然に生かそうと、「手首・前腕・腕の受動的な働き」46)を使った点である。さらに、大熊はショパンのバッハ研究やコンサートでの演奏機会があることを考えて、「前奏曲」を選んだ。川井は大熊のこの選択に賛成だが、ショパンの作品ではエチュード、例えば、作品10-1や10-12などの方が親指の動きの回復という目的のためにはより適していると思われた。

では、その具体例を前奏曲第20曲、第16曲、第8曲、第19曲、第21曲で見ていこう。

[譜例1] 前奏曲ハ短調 作品28-20 47)

「荘厳なffの和音の響きを劇的に歌いながら、神秘的なppにまで変化させること」が必要であると考えた。「音が弱い」と指摘されることが多いので、「身体を使おう、重さを腕を通して鍵盤に伝えよう」と練習した。ところが実際弾き始めると、「身体を使おう」という意識が、「身体を固める」ことにつながり、ffがp、ppへと変わる時、音をかすり、響きのあるppにコントロールできなかった。そこで「ボディ・マップ」を次のように取り入れた。①上体は一つ

の「かたまり」ではなく、中芯になる骨とそれを動かす筋肉がある。おおよそ球形の頭蓋骨が脊椎の上にあり、バランスをとっている。(脊椎の最上部・環椎の位置・大きさ、後ろ側ではなく頭蓋骨の真ん中にそのバランスの場所があることの確認が必要。)②胸や背中には腕や脚を動かすための筋肉がある。脊椎の体重がかかる部分は背中にはない。(だから「背骨」と呼ぶことを避けたい。)③前述の腕のユニットが肋骨の上に乗っている。以上を練習の前に、ギムニク・ボールの上に座って「思い起こす」。座って上下にバウンドしたり、腕を動かすことの中で体現化する。身体が軽くなり、意識がすっきりしていくのがわかる。弾く際にもそのマップを思い出す。すると腕が自由で、音量のコントロールも容易になった。安心して音楽に浸れ、歌えた。

第16曲、第8曲は、表1・表2を参照されたい。6項目(「注目点」、「意識・アイディア」→「実際に起こったこと」、「何が起こったかの解釈」、「正しいボディ・マップ」→「実際に起こったこと」)の分類の意味は次の通り:「注目点」-その曲全体の特徴や難しい箇所で、練習の際に意識・注目した点。「意識・アイディア」-その注目点を弾きこなすために、どのように考えて弾いたか。「実際に起こったこと」―その結果起こったこと。「何が起こったかの解釈」―ボディ・マップ上の誤りとその結果身体に起こった誤用を解説。そして「正しいボディ・マップ」を示し、その結果「実際に起こったこと」、つまりどのように演奏や弾く時の心理状態が変わったかを述べる。(ここで表1・表2を挿入する。)

第19曲、第21曲はともに、前述の第8曲と同じ「ボディ・マップ」が有効であった。

4-2 考察

前奏曲の中で大熊がもっとも困難であったのは、第21曲や第3曲の左手の指の広がりである。「毎日弾かなければ」という思いは、ここではただ手の慢性的疲労をつのらせたようだ。しかし、自身には全く疲労などという自覚はなかった。それどころか1日でも弾かないでおくと手がむくむと感じられた。実際には、疲労した手が元の大きさに戻って回復しようとしていたのかもしれない。

頭と脊椎のバランスと腕のマップ、中でも小指と尺骨の関係のマップが大熊の腱鞘炎を回復へと向かわせた。それらの骨を感じると親指が急に動きやすいという。川井に寄れば骨だけでなく筋肉のマップ(例えば、深指屈筋)が体現化されるようになると、さらに音量などをコントロールできるという。

トーマス・マーク49)の考えを元に、川井は、ピアノを弾くことを次のように捉える。我々は指の動きだけでピアノを弾いているのではない。指は、たまたまピアノという楽器にタッチしているところで、頭も胴体も腕も脚も存在し、指の動きと関係を持っていることを忘れてはならない。頭が脊椎の上でバランスしていること、通常呼吸での脊椎の「動き」★など繊細な動きは、実は直接的かつ大きく演奏に影響する。我々は「身体全体の複雑な協調的な動き」50)でピアノを弾いている。つまり、身体全体の動きに「筋感覚」を使って「気づき」、聴覚の働きと同様、演奏中に全体の中での腕・指の動きをコントロールできるようになることが必要だ。

4-3 結果

アンドーヴァー・エジュケーター・コース「音楽家なら誰でも知っておきたい『からだ』のこと」で身体全体のボディ・マップやバランスの位置を知ってから、5ヵ月後の2004年2月、大熊はコンサートで前奏曲全曲演奏を成功させる。1ヶ月に1度のペースで川井の協力を得、大熊自身が「ボディ・マップ」を修正するにより、腱鞘炎はほとんど回復した。完治とは言い切れないのは、急いで譜読みをする必要のある時や、レッスンを受ける時、本番において、表現を強く求めた際に、親指に違和感を感じることがまだあるからだ。筋肉の動きが以前の「習慣」に戻り、腱鞘を刺激すると思われる。しかし、その状態が起こることも、起こったときの症状も軽減している。つまり、ピアノを弾き続けていても、間もなくの完治が見込まれる。

一方、2004年10月にあったバッハのカンタータの演奏会で、大熊はオルガンの通奏低音を担当し、指の問題が完全に解決した以外に次のことが起こった。①指揮者の顔やチェリストのボーイングが今までよりよく見えた。横や背後の演奏者も、よく感じられた。②以前は指揮者のタイミングに合わそうと思えば思うほど、他のオーケストラメンバーよりアインザッツのタイミングが早くなり飛び出してしまうことがあったが、「ボディ・マップ」を思い出し、首を楽にすると、緊張することなく、ぴったりタイミングが合った。

「ボデ・マップ」による「動きの」のトレーニング、「注意力」のトレーニングが、大熊自身の「全体」を活性化されることにつながり、安心して自分の音楽ができた喜びは大きい。

おわりに

ピアノ演奏が真に芸術として高められるには、多くのさまざまな要素が必要であり、それ故ピアニストには多面的な能力とトレーニングが要求される。全体から部分へ、部分から全体へ、そのたゆまざる行程が必要であろう。

また、ジャン・ファシナは「教育に携わることは第一に、注意深くなることを意味する」51)、「生徒が音楽を探求していくのを導く必要がある」52)と述べているが、教える者は芸術的・音楽的・技術的・心理的・人間的なすべての面でのよき相談相手であり、サポーターである必要があろう。威圧的態度や辛辣な批評、不用意な言葉によって、生徒の可能性を押さえつけてはならない。

ピアニスト・ピアノ教師の中にあって、「ボディ・マップ」は今までのテクニックと対立するのではなく、さらなる「基礎」としてそれらを生かし、訓練法・教授法の新たな可能性と効率化を促す、一つの大きなツールとなろう。ピアニストをはじめ、音楽家の演奏による故障の改善と予防、そしてさらに上達の促進に確実に貢献することが期待される。

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