ドイツ人教授のP.E.先生の公開セミナー

2003年5月25日に、ドイツ人教授のP.E.先生の公開セミナーを聴きに行きました。
これはその時のまとめです。

総論

音楽には、バロック、古典、ロマン、近現代と、時代ごとに異なった様式観がある。
精神的なものや、テクニックを、音楽史にのっとった様式観と一致させることが、ピアノを演奏する上で、非常に大切である。
コンクールに出場するような人たちでも、バッハとブラームスを同じテクニックで弾きがちである。
このような場合、その先生が様式観をしっかり持っていない場合が多い。
テクニック重視の先生に付いた生徒は、ブラームスの間奏曲のような曲でも、かっちりとした演奏になってしまう。
反対に、表情やポーズを重視する先生に付いた生徒は、バッハのプレリュードのような曲でも、体を大きく動かす演奏をする。

ある生徒が、ある面において特に優れた能力を持っていると、先生はその面を活かせる曲ばかりを与えがちである。
しかし、それでは、それ以外の教育の大部分が抜けてしまうことになり、その後のその生徒の可能性を摘んでしまうことになる。
先生は、生徒の足りない部分を良く見極めて、それを補う教材を与えるべきである。
音楽史全体をよく見て、一部分にとらわれないことが大切である。

ピアノ音楽は、楽器の発展と並行して発展してきた。
チェンバロでは、腕の重さをかけて弾いても意味がない。
モーツァルトの時代は、指だけ、あるいは手首ぐらいまでを使ってピアノを弾いていた。
ベートーベンの時代に、ピアノは重さをかけて弾くことができる楽器になった。
リストの頃に、現代のピアノに近い形になった。
現代のピアノでは、モーツァルトの曲を完全に指だけで弾くということは通用しないが、方向性は間違ってはいけない。

作曲家の演奏の仕方について書かれた文章が、いろいろと残っている。
バッハ:「彼は、静かに楽器に向かっていた。3メートルも離れると、動きが分からなかった。」→指だけを使っていた。
モーツァルト:父へ宛てた手紙で、「私が最近見たあるピアニストは、腕を動かして弾いていた。とても奇妙だった。」→その時代はあまり腕を使って弾かなかった。
ベートーベン:「彼は静かに座っていた」というのもあれば、「彼はワイルドな動きをもって、顔もワイルドだった。」「弾きながら歌ったり、呼吸を荒くしたりしていた。」
ブラームス:「楽器から離れ、楽器全体を見下ろすような格好で弾いていた。」
リスト:「椅子から飛び上がったり、腕を高く上げたり、大きな動きをした。」
ラベル:「彼は静かに座っていた」→古典的なスタイルに戻っている。
ラフマニノフ:「非常に静かに弾いていた。」
ストラビンスキー:40才になって初めてピアノを弾きだしたが、それは彼の作品をオーバーに弾く人が多かったので、自分で弾いて見せたかったからだった。
ロマン派の後、反ロマン派のスタイルができてきて、感情をあらわにするより、集中力を高めて精神的な高まりを求めだした。(今の若い人は、少し誤解している部分がある)
ピアノを弾く際のテクニックには、大きく分けて、指のテクニックと、重さをかけるテクニックがある。
先生によって、指のテクニック重視、重さのテクニック重視、指の練習よりイメージ作りが大事、など、意見が分かれているが、理性的な先生は、それらをうまく組み合わせている。
テクニックの習得の順序としては、まず指先から、だんだん腕の内側に向かっていくような教育が望ましい。
指がしっかりしていると腕にはあまり力がいらないが、指先がしっかりしていないと、重さをかけるテクニックは使えない。
重さをかける勉強は、指先がしっかりできるようになってからにするべきである。
現在の教育は、指の部分がおろそかになりがちである。
ある程度まではそれでもいけるが、たとえば指のスピードが要求されるような曲などで、つまずいてしまう。
反対に、指のことばかりで、その先の教育を忘れていると、ベートーベンの中期ぐらいまではいけるが、それ以降の作品は難しい。
指と腕の使い方のコンビネーションがうまくいっている教則本はなかなか無いので、色々な教本をうまく組み合わせ、それぞれの生徒によってできないところを補うメニューを作ることが大切である。

各論

バッハの弾き方

まず、モデル演奏(ピアノ科を卒業した若い人):残念ながら私には曲目は分からなかったプレリュードのような気がするが。
感想:非常にロマン的である。和声が変わるたびにテンポが揺れる。基本的なテンポ感の問題・・・ゆっくり過ぎると4分の4拍子なのに8分音符単位でアクセントが付いているように聞こえる。トリル、大きく鳴っている。もっと繊細に注意深く。ペダル使い・・・動きよりも響きが全面に出てきている。響きより動き、ハーモニーより声部を大切に。
自分の感情を表現することと、バッハに対する思いの割合はどうなっているか。
バッハの曲を弾く場合には、自分の感情を押さえ気味にし、ストレートに出してしまわないようにする。感情は使うべきところでつかう。
響きを通して表情をあらわすのではなく、動きを通して表情をあらわす。
バッハは音色を愛した人ではないので、音色にはあまりこだわらない。
音色より動き:音程の持つ緊張感、リズム。
これらを感情で殺してしまわない。
アーティキュレーションの問題:バッハの楽譜には書かれていないが、動きのある音を指先を使って短めに弾くと、長い音が聞こえてくる。
トリルの問題:トリルにクレッシェンドがつくと、ロマン派的になるので、腕、からだを静かにして、繊細に弾くこと。
バスの音程を感じること。
ある意味、ロマン派の曲は楽しく弾ける。バッハには、感情を押さえつつ表情をつけることの難しさがある。

モーツァルト・ベートーベンの弾き方

モデル演奏:ソナタK5701楽章
どこにバッハ的なものが残っているか:1.アーティキュレーション→モーツァルトはたくさん書き込んでいる。書かれていないところでも、16分音符は平らに弾かないで指先を使ってノンレガートで。
2.テンポが一定であること。
3.ポリフォニーであること。
変わったところ:記譜法の変化。部分的にからだを使うところが出てきた。音色の変化があらわれた。声部がやや複雑になった。
一つ一つの音を緊張感をもって弾くこと。
からだは動かさないでそれぞれの音に集中して、一音一音大切に弾くこと。
フォルテの所ではからだを使う。ピアノになるとまた静かに。
│・ドドドドド│レドシ♭ラソファ│の部分、ドの連続を同じように弾かないで、レに向かって緊張感を高めていく。
16分音符の並び、単なる音の羅列ではなく、よく声部を見分ける。
ひとつの形がオクターブ違って出てくるところは、音色を変える。
左手の伴奏型は、弦楽四重奏の第2バイオリンのような感じで。
モーツァルトの音楽は、書かれてあるとおりに弾けばいいとよく言われるが、書かれてあることから内面的な意味をよく見つけることが大切。
これらのことは、ベートーベンの初期のソナタにもあてはまる。
ベートーベンは、自分の曲を弾くためのメソードを自分で作りたかったが(スケッチが残っている)、できなかったのでクラーマー・ビューローを好んで使った。
彼は、メカニックなことより、音楽的なこと-小節ごとの組み立て、大切なポイントの見極め、アクセントの位置、呼吸の方法など-に興味があった。
ベートーベンを勉強する時に、クラーマーを先に勉強しておくことは、音楽的な面で非常に意味がある。

ショパンの弾き方

モデル演奏:たぶんエチュードのひとつではないかと・・・。
感想:手首が堅いので、音がかたくなる。弾き方が少し乱暴になっている。→もっと繊細に。
ショパンは全くロマン派というわけではない。むしろ古典派と言っていい。ショパンはバッハやモーツァルトを非常によく勉強していた。
どこにバッハのものが残っているか?:例えば、対位法的なモチーフ、テンポが一定で揺れが少ないこと。
どこにモーツァルトのものが残っているか?:例えば、音階的な動き。
色々考えてみる。
逆に、新しいところは?:ダイナミックスの変化、ペダル、半音階的進行、左手の伴奏型が難しくなった、大きな音程と小さな音程のコンビネーションなど。
ショパンの曲を弾くにあたって、手を閉じたり開いたりするトレーニングが非常に大切である。
例えば、ドレド(中心)ドシド(オクターブ上)レミレ(中心)レドレ(オクターブ上)~など。
難しい箇所を弾く前に、前もって基本的な動きをトレーニングしておくことは、非常に大切である。
腕を自由にするトレーニング:単音を押さえながら腕を回す。→腕、肘、肩を柔らかく。
手首を自由にするトレーニング:鍵盤に指をかけて、手首を高く、低く、右、左に動かしたり、回したりする。
手首の横の動きのトレーニング:手を動かさずに、一本の指でオクターブ(ド(中心)ド(オクターブ上)の繰り返し)を弾く練習、音程を少し大きくして、少し腕の動きも伴う練習。
手首をねじる動きのトレーニング(これはバッハやモーツァルトでは無かった):指を鍵盤において、手首を左右にねじる、指を変えて。
しかし、バッハのテクニック(指)は残っている。ショパンは腕の動きだけで弾けるというのは大きな間違い。指、腕、手首のコンビネーションが大切。
ショパンを弾く時には、ペダルの勉強が大切。
今の普通のピアノは鍵盤が9.5mm下がる。しかし、ショパンが使ったピアノが残っているが、このピアノは5mmしか下がらない、軽い鍵盤だった。→ペダルを使っても効果は大きくはなかった。
ショパンのオリジナルの楽譜には、たくさんペダルが書き込んであるが、現代のコンサート用のピアノでこの通りにやると、響きすぎる。
ショパンのペダルは、半分あるいは4分の1ぐらいで充分なことがある。
ペダルをフルに踏んで和音を鳴らしておいて、音をよく聴きながらゆっくり上げていく練習、一音ずつ素早く半分だけ踏み換える練習、などが効果的。
半音階的な動きを、機械的に簡単に弾いてしまわないこと。
耳をしっかり使って、音程を素早く聞き取る。
バッハやモーツァルトと同じで、ショパンには音と音の間に音楽がある。
ロマン派の時代に入って、ホールが大きくなっていったが、ショパンはサロンなどの狭い空間で好んで弾いた。パリで大きなホールで弾いた時に、批評に「ショパンの音は聞こえなかった」と書かれた。
ショパンの音楽には、透明感が必要。繊細、貴族的、精神的で、乱暴にひいてはいけない。→リストとの違い
ある時、ショパンとリストがコンサートで連弾をするという企画があったが、リストはすぐにイヤになってコンビを解消した。(静かに弾かなければショパンの音が聞こえなかったから)
モデル奏者の問題点として、オクターブの動きをする時に、手首に力が入って高くなる。
手首はいつも呼吸していないといけない。
オクターブを弾く時に手を広げて平らにすると手首が上がるので、手が小さくてどうしようもない時以外は指先を立てること。
早いパッセージが弾けない時は、2の指に問題がある場合が多い。
4、5の指には気を使うが、2の指が素早く動けない場合が多い。
また、音がとんでいる時には2の指を軸にして手首を回すなど、2の指は、コントロールのために大切な指である。

リスト
ショパンと違い、からだ全体を使って表現する。
ffのとき、弾いた後手を大きく上に上げると、打鍵のスピードが増し華やかな音になる。
早い和音の連続などでも、手をいちいち上げるとはっきりと聞こえる。

シューマン、シューペルト、ラフマニノフ
多くのポリフォニーが出現する。
水平のポリフォニー:多くの声部が絡み合う→横の流れを大切に弾く。
垂直のポリフォニー:同じ和音でも、出す声部を変えると響きが違う。
ロマン派の曲は、オーケストラをイメージする。各声部を良く見極めること。
左手だけの練習が、とても重要である。
左手は、テンポを保つための大切な役割がある。また、右手が細かい動きで左手がメロディーというところも多い。
おうおうにして右手の難しいパッセージを練習しがちであるが、難しいところよりも簡単なところが大切な役割を果たしている時が多い。
大切なところを良く見極めて、より多く練習すること。

ブラームスの曲を弾くには、彼の51のエチュードを勉強するといい。

ドビュッシーの曲を弾くには、ブゾーニのエチュードが有効である。(例えば、指を伸ばしてなでるようなタッチ、指を滑らせる奏法など)
ドビュッシーのエチュードは彼の作品の中でも最も難しいので、彼の作品を弾くためのエチュードにはならない(笑)。

近代の作曲家は、いろいろと新しい奏法を開発している。
ゲンコツでたたく、弦を直接はじく、何も弾かないでじっと座っている、果ては、斧を持ち出してきてピアノを壊す・・・。
歴史的な奏法では、これらの作曲家の曲は弾けないだろう。

以上。後半は時間的な関係で、かなりはしょられたようです。
私の記憶違いで間違った記述がある可能性はお含み置き下さい。

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